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東京地方裁判所 昭和47年(むイ)486号 決定 1972年8月16日

主文

東京地方裁判所刑事第三部が昭和四三年八月一五日被請求人に対する詐欺被告事件(昭和四三年刑(わ)第一二九八号)につき言渡した刑(懲役三年、四年間執行猶予保護観察)の執行猶予の言渡はこれを取消す。

理由

一、本件申立の趣旨は、

東京地方裁判所刑事第三部が昭和四三年八月一五日被請求人に対する詐欺被告事件(昭和四三年刑(わ)第一、二九八号)につき言渡した刑(懲役三年、四年間執行猶予付保護観察)の執行猶予の言渡はこれを取消す

との裁判を求め、その理由の要旨は、

(一)  被請求人は右執行猶予の期間内いずれも墨田簡易裁判所において道路交通法違反の罪により(1)昭和四四年五月一〇日罰金六、〇〇〇円(2)同日罰金一、〇〇〇円(3)同日罰金三、〇〇〇円(4)同年一〇月二八日罰金八、〇〇〇円(5)同年一二月一五日罰金八、〇〇〇円(6)同日罰金四、〇〇〇円(7)同日罰金三、〇〇〇円に各処せられた。

(二)  被請求人は執行猶予の期間中保護観察に付された者として、執行猶予者保護観察法五条に定める遵守事項を遵守すべき義務があるにかかわらず、その期間内に

(1)  昭和四三年一二月まで住居の届出を怠り保護観察所への出頭の指示に従わず、かつ連絡もしなかつた。

(2)  同年一一月はじめごろ、裁判時の住居である東京都大田区中馬込二―七―一六から同区中央三―一八―二四へ転居しながら、その際保護観察所長に届出をしなかつた。

(3)  同年一一月一六日ごろ同区中央二―二二―二相馬工業所において飯塚勝隆ほか一名からカラーテレビ一台の売却方を依頼され、右が賍品であることの情を知りながら岡田不二夫に売却の斡旋をして賍物の牙保をなした。(昭和四四年二月一三日起訴猶予処分)

(4)  前記(一)記載のとおり墨田簡易裁判所において、いずれも道路交通法違反の罪により罰金刑に七回処せられた。

(5)  昭和四四年五月一五日ごろ東京都品川区勝島大井オートレース場において川島行男、斉藤宣勝、関本武と共謀して加藤正夫に対し、いわゆる八百長レースを懇請し、その報酬として現金六万円を供与し、右は同年一〇月一五日東京地方裁判所に小型自動車競走法違反として起訴され、現在審理中である。

(6)  同年五月二三日ごろ(3)記載の相馬工業所において、東京地方裁判所執行官が差押え、その旨の公示書を施したギヤーパープレス等一四点の物件を代理占有中、同年七月三日ごろ右物件中の四号ギヤープレス三台を中山よし方に搬出し、同月一七日と二四日の両日にわたり斉藤重雄ほか一名に右物件を勝手に引渡して、公務員の施した差押標示を無効ならしめると共に、右物件をそれぞれ横領した。(同年九月二七日起訴猶予処分)

(7)  昭和四五年四月二八日ごろ、東京都練馬区石神井町五丁目石神井農業協同組合において、兄藤田悟と共謀のうえ、同組合の弱味につけ込んで組合役員らを脅迫して畏怖させ、よつて八、五〇〇万円の貸付けを行なうことを約諾させ、右は昭和四七年三月二三日東京地方裁判所に恐喝被告事件として起訴され現在審理中である。

(8)  昭和四六年四月二〇日ごろ東京都大田区上池台一―三―八富士広商事において、同区中央六―一八一―一ほか五筆の宅地上に住居を持つ森田、米沢、宮内、佐藤の四名が土地明渡しを承諾した事実がないのにかかわらず、同年五月三〇日までに立退くことを約束する旨の同人ら名義の文書を偽造し、同日明和信用組合において、右文書を真正に成立したもののように装つて提出して行使し、その旨同組合職員を誤信させ、右土地を担保に金員借入を申出で、同月二二日ごろ、同組合において富士広商事の当座預金口座に金七六九万七、二一二円を振り替え入金手続をとらせ、もつて財産上不法の利益をえた。右は昭和四七年四月一八日東京地方裁判所に有印私文書偽造、同行使、詐欺被告事件で起訴され現在審理中である。

右のごとく、執行猶予者保護観察法五条に違反する行為をなし、その情状は、右違反の事実があつても担当保護司に報告しないばかりか、昭和四四年八月ごろまでは殆んど担当保護司を訪問することもなく、その後も担当保護司とは形式的表面的な接触のみであり、主任官の出頭指示にも従がおうとせず保護観察に対し忌避的姿勢であり、保護観察機関の正当な権威を受容して自ら更正しようとする意欲が乏しく、法規範を故意に無視した生活態度であり、遵守事項違反の情状は重いといわなければならないので、本件執行猶予の言渡を取消されるよう請求する、

というのである。

二、弁護人は、被請求人は胃潰瘍のため当裁判所の指定した昭和四七年八月一四日の口頭弁論期日に出頭できない正当な理由が存するとして、口頭弁論期日変更の申立をなした。医師井田正也作成の昭和四七年八月一二日付診断書によれば、被請求人は胃潰瘍のため常時嘔気、胃部に自発痛があり、時に嘔吐、吐血、下血があつて、東京警察病院でも胃カメラ検査の結果手術が最良の治療であるといつており、本件口頭弁論期日に出頭することは不可能であるというのであるが、一方検察事務官作成の電話聴取書二通によれば、東京警察病院において、被請求人の診断は当初内科医師稲垣克彦が担当し、更に外科医師鈴木吉太郎において、同年六月三〇日レントゲン透視検査、同年七月七日胃カメラ検査を行なつた結果、被請求人の胃の疾患は胃部粘膜にビランはあるが漬瘍にまでは至らず胃炎と判定したこと、また鈴木医師は前記井田医師に治療には手術が不可欠である旨伝えたことがないこと、医師稲垣克彦作成の同月一八日付病状等についての照会回答書によれば、当時は、胃部に全治まで約二週間を要する粘膜ビランがあるが、裁判所に出頭することは可能であつたことが認められ、更に当裁判所の調査によると、井田医師の診断の基礎はレントゲン透視検査であつて、胃カメラ検査を施行したことは一度もなく、しかも本件出頭不能の資料として当裁判所に提出された昭和四七年八月一二日付の井田医師の診断書は前日の往診による診断に基いて作成されたもので鈴木医師の胃カメラによる診断の科学性に劣ることは否み難く、してみると、井田医師作成の右診断書の記載は右各証拠に照らし、にわかに措信し難く、以上の諸事情を総合勘案すると、被請求人には胃に何らかの疾患があることは認められるものの、本件口頭弁論期日に出頭できない程度の病状ではないと認められるから、被請求人は本件口頭弁論期日に正当な理由なく出頭しなかつたというべく、弁護人の右申立は採用しない。

三、一件記録によれば、被請求人は昭和四三年八月一五日東京地方裁判所刑事第三部において詐欺罪で懲役三年、四年間執行猶予付保護観察の言渡しを受け、同月三〇日確定したが、その執行猶予期間内に、道路交通法違反を七回犯し、いずれも墨田簡易裁判所において、昭和四四年五月一〇日罰金六、〇〇〇円、同一、〇〇〇円、同三、〇〇〇円、同年一〇月二八日罰金八、〇〇〇円、同年一二月一五日罰金八、〇〇〇円、同四、〇〇〇円、同三、〇〇〇円に各処せられたことは明らかであり刑法二六条ノ二第一号によれば、懲役刑の執行猶予の言渡をうけた者であつても、その猶予の期間中罪を犯し罰金に処せられた場合、それは、執行猶予の言渡の取消要件となりうるものであるが、右七回の道路交通法違反の事実は、すでに約三年以前の出来事であり、かつ現在においては、すべて反則行為に該当する事案で、罰金刑を課せられることのない軽微な事案というべきで、被請求人が猶予を取消されることによつて受ける損害とを比較考量するとき、処罰の回数においては少しとは言い難いが、犯情において、いまだ右罰金に処せられたということのみを理由としては懲役三年に対する執行猶予の言渡しの取消事由となすには不充分というべきである。

ついで執行猶予者保護観察法五条に定める遵守事項違反の主張について按ずるに昭和四三年一二月六日まで住居届を保護観察所に提出せず、同年一一月ころ転居したにもかかわらずその届も提出しなかつたことは一件記録によつて明らかであり更に前記罰金刑に処せられたほか昭和四三年一一月一六日ころ賍物牙保、昭和四四年五月一九日ころ小型自動車競走法違反、同年七月封印破棄、横領、昭和四五年四月二八日ころ恐喝、昭和四六年四月二〇日ころ有印私文書偽造、同行使、詐欺の各犯罪により検察官主張の如く、起訴猶予あるいは起訴され現に東京地方裁判所で審理中であることも明らかであるところ、検察官主張の(二)の(7)の事実すなわち石神井農協における八、五〇〇万円の恐喝事件を除き、他の事件については被請求人が取調官に対し全面的に自白しているところであり、特に小型自動車競走法違反事件においては、被請求人を除く他の共犯者はオートレースの選手であり、被請求人がこれら選手を抱き込み、いわゆる八百長レーンを仕組んだもので主犯としての立場にあつたことが、右被請求人の検察官に対する供述調書から認められるところであり、また、起訴猶予処分になつたとはいえ、賍物牙保の事件の如きは、本件執行猶予の言渡しをうけた裁判が確定して二ヶ月半後に敢行されたもので保護観察の制度、ひいては当該裁判の威信を全く失墜させる所為というほかはない。

被請求人は、前示のとおり執行猶予保護観察期間内にもかかわらず道路交通法違反を除くその余の五件の犯罪では、いずれも逮捕されただけでなく、勾留されるまでに至つており、勿論現在審理中の罪については一応無罪の推定をうけるとはいえ、前記のように自白調書も存在し、小型自動車競走法違反事件については他の共犯者は有罪の言渡しを受け、被請求人のみが病気不出頭のため、いまだ審理中であつて、これらの事実はその遵守事項たる善行保持義務にいちじるしく悖るものというべくその情状はきわめて重大といわねばならない。

四、以上のとおり、被請求人は、その執行猶予期間内に更に罪を犯し罰金に処せられたほか、執行猶予者保護観察法五条所定の遵守事項を遵守せず、かつその情状きわめて重大であることが認められるばかりか一件記録によれば、被請求人は担当保護司との連絡もとらず、保護観察所の出頭指示にも出頭しなかつたりするなどによつて明らかな如く、犯罪者に対する社会間処遇の最終的手段である保護観察付き執行猶予の崇高な精神を理解せず、自助の責任を自覚することきわめて乏しく、更正の意欲が認め難いのみか遵法精神の欠除はきわめて明らかなものがあり本件執行猶予の言渡の取消によつて受ける被請求人の不利益を充分考慮するも、これら諸般の事情に鑑みると本件執行猶予の取消は止むを得ないものというべく(なお、当裁判所としても、前記のとおり被請求人の胃に疾患があることは資料によつて認めるところであるが、かかる事実は刑の執行にあたつて考慮さるべきはともかく、執行猶予の取消の当否の判断については、さしたる影響を及ぼすものではない。)

刑法二六条ノ二第二号、刑事訴訟法三四九条の二第一、二項を適用して主文のとおり決定する。

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